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東京地方裁判所 昭和61年(行ウ)76号 判決

原告

中嶋絹子

右訴訟代理人弁護士

笠原克美

被告

渋谷労働基準監督署長

右指定代理人

水野秋一

中島和美

工藤輝一郎

小牧智義

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が原告に対して昭和五八年三月一〇日付けでなした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告の亡夫中嶋哲彌(以下「哲彌」という。)は、昭和五五年七月一日から学校法人東海大学理事長室国際部国際課に勤務し、(一)東海大学と外国との学術交流(二)海外よりの外国人教職員、研修生の受入れ及びその研究、研修の基本事項、(三)外国の大学、研究所などの調査、情報の収集、(四)東海大学教職員、学生の海外研修、交流の基本事項、(五)東海大学ヨーロッパ学術センター等に関する業務に従事していたが、昭和五六年一一月一三日朝通常どおり出勤し、その日は(一)第一四回海外研修航海参加者選考のための名簿作成に従事し、その仕事は午後八時に終えたが、その間(二)午後二時から四時半までの間ブルガリア大使館の招待により同大使館で開催中の「刺繍展」を見学、大使主催のパーティに出席、学校に戻って(一)の名簿作成を終えた後(三)同年一二月一四日、一五日開催予定の「第八回日ソ・エレクトロシンポジウム」及び一一月一七日開催予定の「リンドペック博士講演会」についての業務打合せをし、打合せは、翌一一月一四日午前零時過ぎに終った。同日午前一時過ぎタクシーで渋谷区内の勤務先から立川市内の自宅に向ったが、立川市内に着いたころ運転手が声をかけたところ、返事がなく、既に不帰の人となっていた。推定死亡時刻は一四日午前一時五五分、解剖の結果、死因は急性心不全と判定された。哲彌は昭和一七年九月三日生れで、亨年三十九才であった。妻である原告は、その葬祭を執り行った。

2  原告は、被告に対し哲彌が業務上死亡したものであると主張して労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、被告は、原告に対し、昭和五八年三月一〇日哲彌の死亡は業務上の疾病によるものとは認められないとの理由で、右各保険給付をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

原告は、本件処分を不服として昭和五八年五月九日東京労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同審査官は同年一〇月三日右請求を棄却する旨の決定をした。そこで原告は、同年一二月五日労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、同審査会は、昭和六一年三月二七日右再審査請求を棄却する旨の裁決をした。

3  しかし、哲彌の死亡は、以下に述べるように業務上の疾病によるものであるから、これを否定した本件処分は、判断を誤った違法な処分である。

(一) 哲彌の職務は、外国の要人を日本に迎え、行動を共にし、一切の世話をする等緊張を要する激務であった。死亡前一か月の職務の状況をみると、一〇月一二日から同月二〇日までは日ソ・エネルギーシンポジウムのため迎え入れたソ連代表団に同行し、成田―東京―熊本―高松―名古屋―東京―東海村と、日曜も祝日も返上し、夜間も代表団と同宿して息つく暇もない東奔西走の激務が連続し、その後同月二六日には日中海洋シンポジウムのため中国代表団を迎え入れ、再び多忙を極め、残業時間は申告され記録された分だけで一〇月には合計五三時間にも達した。そのほか申告されない残業時間も相当にあった。

(二) 哲彌は、我慢強い性格のため滅多に弱音を吐かなかったが、死亡の三~四週間前から妻である原告にしきりに「眠い眠い」と言っていた。昭和五六年一一月一三日朝は、いつものように午前七時に原告が起したがどうしても起きられない程過労と睡眠不足の状態にあり、原告が「それでは休む」と聞くと「どうしても行かなければならない」と答えつつも又眠ってしまった。午前七時半頃やっとの事で起床したものの「どうしても眠い。休もうかな。」と言いながらも、「やはり今日はどうしても行かなければならない。」と言って出勤した。

その日の業務がようやく終った一四日午前零時過ぎに哲彌は自宅に電話し、だるそうな声で「帰ろうかな。泊ろうかな。」というので、原告が「それでは寒いやないの」と言うと「それじゃ終電も終ったし、タクシーだね。」と言って電話を切った。

(三) このように哲彌の心身の状況は、激務のため耐え得る限界を越えた過重負担が継続した結果慢性的過労睡眠不足状態に陥っており、これが急性心不全を惹起した最重要因子であり、死亡は業務遂行と相当因果関係があり、業務起因性は疑う余地はない。

4  よって請求の趣旨記載の解決を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3冒頭の主張事実、すなわち哲彌の死亡が業務上の疾病に起因すること、本件処分が違法であることは争う。

3  同3の(一)の事実中、哲彌が昭和五六年一〇月一二日から同月二〇日までの間ソ連代表団に同行したこと、同月二六日中国代表団を出迎えたこと、一〇月中の残業時間の合計が五三時間であることは認め、その余の点は否認する。同3の(二)の事実中一三日の朝哲彌が起きられない程過労と睡眠不足の状態にあったことは否認し、その余の点は不知。

三  被告の主張

1  業務起因性について

労働基準法七五条二項、同法施行規則三五条に規定する業務上の疾病というためには、業務と当該疾病との間に相当因果関係(業務起因性)がなければならない。そして、相当因果関係があるというためには、業務が疾病のほとんど唯一の原因であることを要するものではなく、他に競合する原因があってもその業務が相対的に有力な原因であれば足りるが、業務が単なる条件、すなわちその引金になったにすぎない場合には、両者の間の因果関係が否定されるのである。

2  急性循環器系疾患の業務起因性について

急性循環器系疾患は、労働基準法施行規則三五条に基づく別表第一の二の二号ないし八号が掲げる疾病のように労働の場における特定の危険、有害物質等に起因して発生することが医学経験則上確立している疾病と本質的に異なり、非職業的な要因によって発症するものであるため、仮にそれが業務遂行中に発症したとしても、そのことのみで業務上と認定されるわけではない。例えば、高血圧等の基礎疾患が自然的経過により増悪し、業務中という機会に脳出血という形で発症する場合が多くみられるが、それは業務中という機会をとらえてたまたま発症したにすぎないものと考えられるからである。

そこで、急性循環器系疾患と業務との間の因果関係を合理的に判断するための尺度として、認定基準では災害性の要因を要件として定めているのである。

すなわち、右の例についていえば、当該業務が当該疾病を発症させる相対的に有力な原因となったというためには、医学的にみて一過性の血圧異常や血流障害等が生じ、それらが循環器系に急激に悪影響を及ぼして、脳卒中や心臓発作を発生させるであろうと判定し得る程度に、従来の業務内容に比し質的又は量的に著しく超過した精神的又は肉体的負担、強度の精神的緊張又は身体的努力、或いは精神的感動のような業務上の災害的事実を媒介として当該疾病を発症したものであることが必要である。

3  本件の業務起因性について

本件において、哲彌は、三尖弁閉鎖不全に基づく急性心機能不全により死亡したものである。三尖弁閉鎖不全とは、心臓の右心房と右心室との間にある弁膜(三尖弁)の閉鎖機能が不全となった状態をいい、その結果、心室収縮期に右心室から右心房へと血液が逆流現象を起こすものである。哲彌における三尖弁閉鎖不全の発生機序の詳細は必らずしも明らかでない。しかし、右心室の拡張がかなり高度であること、及び三尖弁が肥厚し、かつ乳頭筋との腱索の付着が不規則で短縮していることなどの解剖所見からすると、同人の心臓組織には三尖弁の閉鎖機能に障害をもたらすような器質的欠陥が長期にわたり素因として存在し、これが増悪して急性心機能不全を惹起したものと考えるのが相当である。

ところで、哲彌の三尖弁閉鎖不全による死亡は、勤務先から帰宅途中のタクシー内において発生したものである。この哲彌の右死亡が「業務に起因することの明らかな疾病」によるものであるというためには、前記二において述べたとおり、右疾病発症前における同人の業務について、一定の時間的、場所的に明確な業務上の災害的事実が存在したことを要するものである。しかしながら、本件においては、後記のとおり、右のような業務上の災害的事実は認められないのみならず、哲彌の急性心機能不全を招来した三尖弁閉鎖不全は、業務とは何ら関係のない高度の右心拡大等同人の心臓に内在する病的素因によるものであって、結局、哲彌の本件被災事故は、いかなる意味においても「業務に起因することの明らかな疾病」によるものとはいえないものである。

4  哲彌の職務内容及び勤務状況について

哲彌は、日本対外文化協会事務局(以下「対文協」という。)に約一三年間勤務し、主として東欧諸国との交流を担当した後、その縁により昭和五五年七月一日から学校法人東海大学理事長室国際部国際課の職員として勤務することとなった。同課の業務内容は、主として同法人と外国との学術文化交流に関する事務局としての仕事であるが、哲彌の同課における職務内容は、対文協に勤務していた当時とほぼ同様であった。同課は課長(国際部長兼務)以下五名をもって構成され、各人とも語学(主として英語)に通じていた。同課の業務は、その性質上渉外的なことが多く、課職員全員がすべての業務内容を把握しており、外国人の受け入れ、国際シンポジウムの開催などで業務量の増える場合には、これら職員がそれぞれ業務を分担、処理することとなっていた。

哲彌の死亡前一か月間の同課の行事としては、昭和五六年一〇月一二日(月)から同月二〇日(火)までの間日ソ・エネルギーシンポジウムが、同月二六日(月)から三一日(土)までの間日中海洋シンポジウムがそれぞれ開催された。哲彌は、このうち、前者については、対文協の議員らとともにソ連側代表団(四名)に同行したが、同代表団の日程に合わせた交通機関及び宿泊の手配等旅行の基本的業務は旅行業者が行い、また、公式の場ではロシア語の通訳がついていたのであるから、同人が一人で万般にわたりその世話をしたものではなく、後者については一〇月三一日(土)に中国側代表団(五名)をホテルに出迎えて、東海大学情報技術センター見学の案内をしたほかは、来日時及び離日時の成田空港での送迎を担当したのみである。そして、その余の日にはおおむね通常業務に従事していたにすぎない。

さらに、この間における哲彌の出勤状況をみると、一〇月一八日(日)はソ連側代表団に同行中、一一月三日(祝日)は中国側代表団の見送り、一一月一日(日、建学祭)の振替休日である同月四日は研修航海団員との打合せのためそれぞれ勤務に就いたが、その他の休日には休んでいるほか、一〇月三〇日(金)及び一一月六日(金)にはいずれも年休をとって休んでいる。このように、この間哲彌にとって特に他の期間に比較して異常な激務が続いていたわけではなく、この点に関する原告の主張は誇張されたもので、失当である。

5  哲彌の死亡当日の業務について

哲彌が死亡したのは昭和五六年一一月一四日(土)の午前一時五五分頃と推定されているが、同人が最後に従事した同日一三日(金)の業務内容は、次のとおりである。すなわち、東海大学では、毎年一回同大学海洋学部の練習船を利用して、約四〇日程度の海外研修航海を実施しているが、同年の第一四回海外研修航海についても一〇月一日募集を開始して、一一月一〇日これを締め切ったところ、一二〇名余の応募があった。この中から約七〇名の研修生の選考を一一月二四日開催の研修航海実行委員会において行うこととなっていたので、哲彌は、右選考のための応募者名簿の作成を担当し、当日もこの名簿作成に従事して午後八時ころその作成を終えた。

なお、同人は、同日午後二時から四時三〇分ころまでの間、ブルガリア大使館の招待により同大使館を訪問し、同大使館で開催中の刺繍展を見学、大使主催のパーティーにも出席した。

また、同人は、同日午後八時以降、同大学五号館にある情報技術センターに赴き、同年一一月一七日開催予定の講演会及び同年一二月一四日、一五日開催予定のシンポジウムの業務打合せを行い、翌一四日午前零時過ぎに右打合せを終了した。右打合せ終了後、同人は、タクシーを呼び、同日午前一時五、六分ころ大学を出たが、その帰宅途中右タクシー内において死亡した。

このような哲彌の一一月一三日の業務内容をみると、先ず第一四回海外研修航海応募者の名簿作りであるが、これは、一一月二四日に行なわれる研修生選考のためのものであり、期日の差し迫ったものではなくて、充分余裕があったばかりでなく、所定の事項を名簿に書き込む単純な事務作業であることからすると、到底過激な業務とはいえないものである。また、ブルガリア大使館における刺繍展の見学と大使主催のパーティーへの出席も、哲彌にとって何ら負担となる種類のものではない。さらに、その後の業務打合せについても、打合せの内容そのものは哲彌の通常業務に属するものであって、打合せの行われた時間帯を考慮してもなお同人の心身に過重な負担となるものではなかったというべきである。

6  以上のとおりであるから、哲彌の本件死亡は同人の従事した業務に起因したものではないとして被告が行った本件処分は、正当なものである。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1及び2の事実は、当事者間に争いがない。

二  哲彌の死亡の業務起因性について

1  学校法人東海大学理事長室国際部国際課に勤務していた哲彌が、昭和五六年一一月一三日通常どおりに出勤し、翌一四日午前零時過ぎころまで残業した後、タクシーで帰宅途中、タクシー内で急死し、解剖の結果、推定死亡時刻午前一時五五分、死因は急性心不全と判定されたことは当事者間に争いがなく、その直接死因とみられる急性心不全が、労働基準法施行規則三五条別表第一の二第九号に定める「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するか否かの点について争いがあるので、この点について検討する。

2  (証拠略)によると、次のとおり認められる。

解剖所見によれば、右心室拡張かなり高度、三尖弁は肥厚し、乳頭筋との腱索の付着が不規則で短縮しており、閉鎖官能が不完全であり、肺の重量が左右とも正常よりかなり重いこと等が認められ、他に特記すべき異常がないことから、死因は心臓三尖弁口閉鎖不全に基づく急性心機能不全とみられた。三尖弁閉鎖不全は、先天性にも起こり、リウマチ性侵襲に続発することもあるが、業務起因性は考えられない。

3  ところで、哲彌の直接死因である急性心機能不全は、業務と関連性のない三尖弁閉鎖不全という基礎疾病に基づくものであるとの、右の解剖所見に基づく判断を左右すべき証拠はないが、このような場合であっても、業務が基礎疾病を自然的経過を越えて、急激に増悪させ、あるいは基礎疾病と共同原因となって死亡の結果を招いたと認められる場合には、死亡の業務起因性を肯定すべきであると考えられるので、この点について検討する。

原告本人尋問の結果、いずれも成立に争いのない(証拠略)によれば、次のとおり認められる。

哲彌は、昭和四三年三月中央大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程を卒業後、対文協事務局に就職し、一三年近く勤務した後、昭和五五年七月一日から学校法人東海大学理事長室国際部国際課の職員として勤務するようになったが、業務内容は、ソ連、東欧諸国等との学術、文化交流に関する事務局としての仕事で、いずれの職場でもほぼ同様の仕事であった。同課の業務は渉外的なことが多く、課長以下五名の課職員全員がすべての業務内容を把握していたが、特に外国語に精通していた哲彌は、国際シンポジウムに関連した諸外国との文書交換、外国人代表団の受け入れ等の業務につくことが多かった。哲彌の死亡前一か月の同課の行事としては、昭和五六年一〇月一二日(月)から同月二〇日(火)まで日ソ・エネルギーシンポジウム、同月二六日(月)から三一日(土)までの日中海洋シンポジウムが開催された。哲彌は前者については、ソ連代表団(四名)に同行して、その世話をした。後者については、一〇月三一日(土)に中国側代表団(五名)をホテルに出迎えて、東海大学情報技術センター見学の案内をしたほか、成田空港での送迎を担当した。その余の日はおおむね通常業務に従事した。

その間の出勤状況をみると、一〇月一八日(日)はソ連代表団に同行、一一月三日(祝日)は中国側代表団見送り、一一月四日(振替休日)は研修航海団員との打合せのため休日勤務しているが、その余の休日は休み、一〇月三〇日(金)、一一月六日(金)は年休をとった(原告本人は、一一月六日は哲彌は普通に家を出て、行先はわからないが国立劇場の開演時間に遅れて午後六時半ころに劇場に来たのでその日も仕事に行ったと思う旨供述するが、出勤簿には年休と記載されている。)。一一月八日(日)は休み、同月九日(月)から一二日(木)までは通常勤務で、残業等の記録はない。同月一三日の業務内容をみると、朝は通常どおり出勤し、海外研修航海参加者選考のための名簿作成に従事し、午後八時ころこれを終えたが、その間午後二時から四時半ころまでの間ブルガリア大使館の招待により同大使館で開催中の「刺繍展」を見学、大使主催のパーティに出席し、午後八時以降は東海大学五号館にある情報技術センターに赴き、同年一一月一七日開催予定の講演会及び同年一二月一四、一五日開催予定のシンポジウムの業務打合せを行い、翌一四日午前零時過ぎに終了し、タクシーを呼び、午前一時五分ころ大学を出て、帰宅途中タクシー内において死亡した。

このような哲彌の死亡前の業務の状況から考えると、死亡直前の一一月一三日の業務は、翌日午前零時過ぎに及ぶ長時間の勤務であって、相当程度の疲労を生ずるものと考えられるが、名簿作成、大使館訪問、業務打合せという仕事が、心身の健康に重大な悪影響を及ぼすような特に重激な業務であったとは認め難い。また、前日の一一月一二日までの業務についてみるに、一〇月中の日ソ・エネルギーシンポジウムの開催中のソ連側代表団との同行、日中海洋シンポジウムの中国側代表団の送迎、見学案内等の業務は、それまでの職務経験からみると、哲彌にとって、特に激務であったとまでは認めるに足りない。そして、一一月六日(金)に年休をとり、同月八日(日)は、普通に休み、九日(月)から一二日(木)までは、通常勤務で残業もしていないことから考えると、一三日の朝の時点で業務上の過労の連続によって、疲労が回復のいとまもなく蓄積していたと推認することもできない。

原告本人尋問の結果によれば、哲彌は死亡直前の一一月一三日の朝、妻である原告が起こしても起きられない程疲れており、一旦は休もうかなと言ったが、今日はどうしても出なければならないと言って出勤したこと、翌一四日午前零時過ぎに勤務先の哲彌から自宅の原告に電話があり、帰ろうかな、泊ろうかなと言っていたが、ひどく疲れたような声であったことが認められる。しかし、そのような疲労が、業務に起因するとは、前認定のような業務の状況に照らすと、必ずしも認めることはできない。またその疲労の程度についても、既存疾病である三尖弁閉鎖不全を自然的経過を越えて急激に増悪させ、あるいはこれと共同して急性心機能不全を発症させる程度のものであったことも、右の原告本人尋問の結果のみによっては、にわかに肯認し難く、他にこれを認めるに足る証拠はない。してみれば、哲彌の直接死因である急性心機能不全の業務起因性は、肯定することができないというべきである。

三  以上のとおりであるから、哲彌の死亡が、同人の従事した業務に起因するものではないとして、被告がなした本件処分は適法であり、その取消しを求める原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 白石悦穂)

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